世界大百科事典(旧版)内のリビエール,J.の言及
【アラン・フルニエ】より
…しかし第2作を完成する間もなく,第1次世界大戦に出征して,14年9月戦死した。彼が親友ジャック・リビエールとかわした1905年から14年までの《往復書簡》は,26年から28年にかけて出版され,1900年代の青春の精神の軌跡を示すものとして,ひろく読まれている。【渡辺 一民】。…
【NRF】より
…文壇に背を向けた小雑誌だったが,クローデル,バレリー,ジャムらの協力を得るとともに,アラン・フルニエ,ラルボー,ロジェ・マルタン・デュ・ガール,ジロードゥーら若い世代の才能を育て,第1次大戦前夜には新しい文学のとりでとしてひろく認められるようになった。大戦後復刊するやリビエール(1919‐25),次いでJ.ポーラン(1925‐40)を編集長として,フランスのみならず諸外国の若手作家にも誌面を提供し,世界の前衛文学の機関誌として有名になった。マルロー,サルトルらも同誌を通じて文壇に登場した文学者である。…
※「リビエール,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」