世界大百科事典(旧版)内のリュキア・パンフュリアの言及
【リュキア】より
…のちアレクサンドロス大王に従い,彼の死後プトレマイオス朝,ついで前197年にはセレウコス朝の支配下に入った。のちロドスの支配を受け,前169年か前168年ローマによって自由を宣言され,後43年クラウディウス帝治下で,リュキア・パンフュリア州として皇帝直轄の属州とされた。すでに前4世紀からリュキアでは都市の〈連合(コイノン)〉が形成されており,各都市の代表者が集まって議会がもたれ,共通の貨幣が鋳造されるなど国家としての機能を果たしていた。…
※「リュキア・パンフュリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」