世界大百科事典(旧版)内のリュミエール,A.の言及
【リュミエール】より
…ブザンソンの写真家・写真用品工場主の家に生まれ,17歳のとき〈乾板〉を開発し,その世界的販売によってリヨン工場に繁栄をもたらし,1890年代半ばにはジョージ・イーストマンのコダック社と覇を競った。94年にパリで公開されたエジソンの覗(のぞ)き回転盤〈キネトスコープ〉に刺激され,兄オーギュスト・リュミエールAuguste Lumière(1862‐1954。2人を合わせて〈リュミエール兄弟〉としてもしばしば言及される)の協力をえて,フランスの発明家エティエンヌ・ジュール・マレーÉtienne‐Jules Marey(1830‐1904),イギリス出身の写真家・発明家エドワード・マイブリッジ,それにもちろんエジソンらのアイデアと発明をとり入れた撮影機兼映写機〈シネマトグラフCinématographe〉を開発し,95年に特許を受けた。…
※「リュミエール,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」