世界大百科事典(旧版)内のルーベン家の言及
【キリキア・アルメニア王国】より
…10~11世紀アルメニア人は,アラブ人の侵攻のためギリシア人人口が希薄になっていたタウロス(現,トロス)山脈の山中に集団移住した。このような集団の一つの指導者ルーベン家はビザンティン帝国から全キリキアを奪い,十字軍が占領地で建てた諸国と密接な関係を保ちつつ,新国家を樹立した。この王国の最盛期は初めて王号を採用(1199)したレボン2世の治世期(1187‐1219)で,農業,手工業が発展し,首都シス,港湾都市アヤスは東西交易の中継地として栄え,絵画ではキリキア派を生んだ。…
※「ルーベン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」