レイヨグラフ(読み)れいよぐらふ

世界大百科事典(旧版)内のレイヨグラフの言及

【レイ】より

…21年初めてパリに行き,画家や詩人とともに〈パリ・ダダ〉,さらにシュルレアリスムの活動に加わる。パリではオブジェ作品や絵を制作して多くの展覧会に参加したほか,印画紙の上にいろいろな立体を直接置いて感光させる〈レイヨグラフrayographe〉を初めて試み(作品集《甘美なる場》1922),P.エリュアールら詩人との共作の書物(たとえば1937年の《自由な手》)を刊行,また映画(1923年《理性への回帰》,1926年《エマク・バキアEmak Bakia》,1928年《ひとで》)も制作した。第2次世界大戦が起こりナチ占領直前のパリを逃れてアメリカに戻り,ハリウッドに住むが,51年以降ふたたびパリに居を構えた。…

※「レイヨグラフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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