世界大百科事典(旧版)内のレオナンの言及
【音楽】より
…12世紀末からポリフォニーの中心地は北に移動し,13世紀末までパリのノートル・ダム大聖堂が特に重要な位置を占めた(ノートル・ダム楽派,パリ楽派)。ここでは楽長レオナンLéoninとペロタンPérotinを中心に2~4声のオルガヌムやモテットが発達した。それらはグレゴリオ聖歌という土台の上に築かれた壮大な音の構築物で,ゴシック様式の大聖堂にも似た趣を備えている。…
【キリスト教音楽】より
… 単旋律の聖歌であるグレゴリオ聖歌の最後の発展期であった12~13世紀は,同時にポリフォニー(複旋律)音楽の発展の時期でもあった。パリのノートル・ダム大聖堂の礎石は1163年にすえられたが,祭壇と内陣の部分がまず完成した12世紀末,ここにレオナンLéonin(レオニヌスLeoninus)とペロタンPérotin(ペロティヌスPerotinus)という2人の巨匠が姿を現す。彼らはグレゴリオ聖歌を基礎として,1~3声部の対位旋律をそれに重ね合わせるオルガヌムorganumと呼ばれる初期のポリフォニーの形式を確立した。…
【ノートル・ダム楽派】より
…それまでのポリフォニー音楽がグレゴリオ聖歌のリズムに準じていたのに対し,長短の音符の組合せによって3拍子を基本とする厳格なリズム体系を確立して音楽史に画期的な革新をもたらした。モーダル・リズムと呼ばれるそのようなリズム体系に基づいて12世紀後半の代表的作曲家レオナンLéonin(レオニヌスLeoninus)はグレゴリオ聖歌を定旋律としてそれに対旋律を付け加えた2声オルガヌムを作曲し,さらに1年を通じておもな祝日で歌われるそのような作品を集大成して《大オルガヌム曲集Magnus Liber Organi》を完成した。その後継者にあたるペロタンPérotin(ペロティヌスPerotinus)はこの曲集を改訂して,数多くの3声ないしは4声のオルガヌムを残した。…
【フランス音楽】より
… ゴシック芸術が当初からフランスで栄えたのと並行して,音楽も多声語法をフランスが先導して豊かにした。10世紀はシャルトル大聖堂ほか,11世紀末から12世紀初めにかけてサン・マルシアル修道院,12世紀中ごろから13世紀にかけてパリのサン・ビクトル修道院,ことにノートル・ダム大聖堂が,その発展の中心であったことから,ノートル・ダム楽派の名も生まれ,レオナンLéonin,ペロタンPérotinが同楽派を代表し,ペロタンの4声部の〈オルガヌム〉は,多声音楽の進展に重要な一時期を画するものと評される。宗教的な〈モテット〉のほかに世俗的なモテットも書かれ,さらにアダン・ド・ラ・アルの3声の〈ロンドー〉が示すように,音楽における世俗的なものが比重を増すにいたる。…
※「レオナン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」