世界大百科事典(旧版)内のレケスウィントの言及
【西ゴート王国】より
…レオウィギルドLeovigild(在位568‐586)は半島の西端に建国していたスエビ王国を588年に征服し,またバスク地方の分離勢力をシセブートSisebut(在位612‐621)が平定して,一応の政治的統一も達成される。654年にはレケスウィントReccesvinth(在位649,653‐672)が旧来の属人法を廃して,王国内に住むすべての住民に適用される領域法Liber judiciorumを発布することで,法の統一も成った。 西ゴート社会には,法的に三つの身分が存在した。…
【リーベル・ユディキオルム】より
…654年ごろ,レケスビントの時代に編纂された西ゴート王国最後の法典。第8回トレド教会会議の承認を得て公布されたといわれる。西ゴート・スペインではこれより前にエウリック法典(475ごろ),アラリック抄典(506),レオビギルド法典(6世紀末)の3法典がつくられていたが,エウリックとレオビギルドは西ゴート人,アラリックはローマ人にそれぞれ別個に適用すべく立法されていたのに対し,リーベル・ユディキオルムは初めて両民族の共通法として編纂,公布されたもので,王国法統一の象徴とみることができる。…
※「レケスウィント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」