世界大百科事典(旧版)内の《レ・ソアレ・ド・パリ》の言及
【アポリネール】より
…それは,象徴主義の圧倒的な影響のもとに開始され,ドレフュス事件に際しての政治的挫折を経て,いわば象徴主義の閉ざされた風土から自由な生の意識への脱出の模索というふうに規定できるものであって,1900年代のその展開は,詩集《アルコール》(1913),短編集《異端教祖株式会社》(1911)に収められることとなる作品にうかがうことができる。他方,彼は早くからピカソをはじめとするフォービスム,キュビスムの画家たちと親交があり,08年ころより新しい芸術を擁護する理論家としても活躍し始め,12年には雑誌《レ・ソアレ・ド・パリ》を創刊して,名実ともに第1次大戦前夜のパリの前衛芸術運動の指導者となった。この間のエッセーを集めたものが《キュビスムの画家たち》(1913)である。…
※「《レ・ソアレ・ド・パリ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」