世界大百科事典(旧版)内のレバー・ハウスの言及
【スカイスクレーパー】より
… 第2次大戦後はカーテンウォール構造による平明な版型建築が主流となり,敷地また地上階の大半を都市広場として公開する配置計画とともに,一つの定型となった。国連事務局ビル(1950,ニューヨーク,W.ハリソンほか)やレバー・ハウス(1952,ニューヨーク,SOM)は初期の例。1960年代になるとチューブ構造さらにトラスとの合体構造,またコンピューターを用いた構造解析法など新方式が開発されて,超高層化を促し,ワールド・トレード・センター(1976,ニューヨーク,M.ヤマサキ)やシアーズ・タワー(1974,シカゴ,SOM。…
【超高層建築】より
…そしてこれ以降,インターナショナルスタイルと呼ばれる超高層建築の一つの表現方法として,カーテンウォールはその主要な位置を占めるようになっていくのである。52年の国連ビルをはじめとして,SOM(ソム)(スキッドモア=オーイングスアンドメリル建築事務所)設計による全面ガラスのレバー・ハウス(ニューヨーク),ミース・ファン・デル・ローエによるレーク・ショア・ドライブ・アパートなどは,インターナショナルスタイルの始まりであった。 SOMは,これ以降,アメリカにおけるユニバーサルな執務空間をもつ超高層事務所建築の設計分野で,リード役を務める大型設計事務所として活躍していくことになる。…
※「レバー・ハウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」