レペシンスカヤ,O.V.(読み)れぺしんすかや

世界大百科事典(旧版)内のレペシンスカヤ,O.V.の言及

【ボリショイ・バレエ団】より

…このころから首都の移転にともなう学術文化機関のモスクワ集中が開始され,バレエでは,30年にレニングラードから舞踊学校の教師陣,第一線の踊り手らのモスクワ転出がはじまり,彼らの振付作品が脚光を浴びるにいたった。30年代の半ばから独ソ戦時代にかけてレペシンスカヤOl’ga Vasil’evna Lepeshinskaya(1916‐ )をはじめ多くの人材が成長し,上演目録も多彩なものとなり,戦後はウラノワの移籍,50年代後半からは国外公演によってその声価はさらに高まった。64年にはYu.N.グリゴロービチを芸術監督に迎え,チャイコフスキーの三大バレエをはじめ古典の改訂,《スパルタクス》その他の新作によって現代人の共感を得た。…

※「レペシンスカヤ,O.V.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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