世界大百科事典(旧版)内のロケ・サエンス・ペーニャ法の言及
【アルゼンチン】より
…1891年にはこうした主張を掲げた急進市民同盟(急進党)が産声をあげ,93年と1905年の2度に及んだその武装蜂起は保守支配層を震撼させた。このため,保守派も譲歩して12年には民主的な選挙法(ロケ・サエンス・ペーニャ法)が制定され,同法の下で実施された16年の最初の大統領選では急進党のイリゴージェンが勝利を収めた。イリゴージェンは22年に国家石油公社(YPF)を設立して経済的民族主義の方向を打ち出したほか,労働者のための年金制度の拡充や大学制度の改革を行ったが,28年発足した彼の第2期政権は世界恐慌によって引き起こされた経済混乱に敏速に対応できず,30年9月6日ウリブルJ.F.Uriburu将軍のクーデタにより崩壊した。…
※「ロケ・サエンス・ペーニャ法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」