世界大百科事典(旧版)内のロマーノ,G.の言及
【エロティシズム】より
…ルネサンスは人間の裸体を復興したが,エロティシズムという見地から絵画や彫刻作品を眺めるとき,その強烈さで頂点に立つのはマニエリスムであろう。風刺作家アレティーノと組んで,16枚の性交態位図を描いた画家ジュリオ・ロマーノも,16世紀マニエリストのひとりであった。西欧のエロティシズムの歴史は18世紀の自由思想とともに,根本的な変化を生ずる。…
【マントバ】より
…フェデリコ2世(在位1519‐40)は,神聖ローマ皇帝カール5世に献呈する〈ゼウスの愛の物語〉を扱った一連の作品をコレッジョ(1489‐1534)に委嘱。G.ロマーノ(1499ころ‐1546)には,幻想的な別荘(パラッツォ・デル・テ)の設計と内部装飾を委嘱し,さらに同市の都市計画も依頼し,ヨーロッパでも有数の整備された美しい都市とした。ちなみに,天正遣欧使節一行がマントバ滞在のおりには,グリエルモ公(在位1550‐87)の訪問をうけ,ミンチオ川の形成する湖上で市民3万人以上の歓迎の花火大会に出席している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」