世界大百科事典(旧版)内のロレンツェッティ,A.の言及
【風景画】より
…その意味では風景画は西洋では近世の所産であり,中国や日本と大きな対照をなしている。また風景表現の形式に関しては,中景が描かれるようになって初めて遠近の連続感が生じるのであるが,中国では五代末北宋初期(例,李成)にすでに中景表現を認めうるに対し,西洋では14世紀半ば(例,A.ロレンツェッティのシエナ,パラッツォ・プブリコの壁画《善政》)になってようやく中景描写が成立し,以後加速的に風景画が増大しまた写実度を深めていく。しかし,西洋の風景画は画種として独立して後も長らく宗教画,歴史画,神話画等に比して小芸術であったに対し,中国や日本では士大夫や禅僧等教養階級の賞玩の具として高く評価され,またそのゆえにしだいに写実性を失って〈胸中の景〉(胸中丘壑(きようちゆうきゆうがく))と化することともなった。…
【ロレンツェッティ兄弟】より
…イタリアの画家兄弟。ピエトロPietro Lorenzetti(?‐1348ころ)とアンブロージョAmbrogio L.(?‐1348ころ)。前者が兄と考えられる。S.マルティーニと並んで,ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャに次ぐシエナ派の第2世代に属する。ピエトロはアッシジのサン・フランチェスコ教会下堂の壁画(1320~30年代)や《玉座の聖母子》(1340年,ウフィツィ美術館)などに見られるように,シエナ派特有の線描で輪郭を強調した抽象化された形態の人物に,ジョット風の奥行きのある空間表現を組み合わせた,静謐な雰囲気の宗教画を特色とする。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」