世界大百科事典(旧版)内のローサ,P.の言及
【イギリス映画】より
… にもかかわらず,その後,世界の映画史を動かすに至る〈イギリス映画〉は生まれなかったというのが映画史家たちの共通の見解になっている。すでに29年にフランスの映画理論家レオン・ムーシナックは,〈イギリスはついに真のイギリス映画を1本も生み出しえなかった〉と書き,イギリスの理論家でありドキュメンタリー映画作家でもあるポール・ローサは,30年に出版した《今日に至る映画》の中で,外国映画の模倣にあまりにもたけていること,政府に寄りかかった映画製作,国産品擁護といった性格を指摘しながら,〈イギリス映画には実体がない〉と書いている。こういった歴史的評価はその後も変わらず,例えば80年にフランスで出版された《映画百科事典》の編著者ロジェ・ブーシノも,〈イギリスは映画史の出発点の形成にもっとも重要な貢献をしているが,その後はアメリカ映画に次いでフランス,イタリア,ロシア,スウェーデン,ドイツ,日本,デンマーク,メキシコといった各国の映画が世界映画史に与えたような影響はまったく与えていない〉とまで断じている。…
【ドキュメンタリー】より
…ドキュメンタリー・フィルムを広くカメラによる〈事実の記録〉と考えれば,L.リュミエールの最初の映画《工場の出口La sortie des Usines》(1895)が,すでにその起点であり,映画の記録性自体がドキュメンタリーの物理的基盤であるといえる。ドキュメンタリーを〈アクチュアリティの創造的劇化〉と規定したローサPaul Rothaは,グリアソンの〈生きた人物や自然の情景による世界の解釈〉というドキュメンタリーの定義を受けて,〈生きた現実から出発し,生きた情景,生きたテーマを劇化しよう〉と主張する。ロバート・フラハティがエスキモーの日常生活を描いた《極北の怪異Nanook of the North》(1922)は,初期ドキュメンタリーの代表作である。…
【ドキュメンタリー映画】より
…ベルトフの〈映画眼〉理論はイギリスに大きな影響をあたえ,ドキュメンタリーは生活そのもののなかから選びだせる新しい芸術形式であると考える〈英国ドキュメンタリー〉派が生まれた。グリアソンは漁夫の日常生活を通して労働と社会とのかかわりを描いた《流し網漁船》(1929)でその流れの基礎を築き,バジル・ライトの《セイロンの歌》(1934)やポール・ローサの《造船所》(1935)など,詩情よりも〈社会的メッセージ〉を重視するドキュメンタリーが発展した。 ドイツでは,いわゆる〈クルトゥールフィルムKulturfilm〉(〈文化映画〉と訳されて日本語に定着している)がつくられ,なかでもワルター・ルットマンの《伯林――大都会交響楽》(1927)や《世界のメロディ》(1929)は,ベルトフの〈映画眼〉理論の〈リズムのモンタージュ〉に影響された代表的な長編ドキュメンタリーである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」