世界大百科事典(旧版)内のローマ・ドゥカトゥスの言及
【教皇領】より
…その起源は5~6世紀の教皇たちがローマおよびその周辺の自領をサン・ピエトロ大聖堂に寄進したことに始まる。ユスティニアヌス帝のゴート戦役によってイタリアに対するビザンティン帝国の直接支配が回復された後のローマ教皇は,行政区ローマ・ドゥカトゥスの長として皇帝に対し統治上の責任を負っていたが,教会寄進地は皇帝特権によって租税を免じられた。568年から始まったランゴバルド族のイタリア侵入をラベンナのビザンティン総督は排除する力がなかったので,教皇グレゴリウス1世は,590年にローマ市の城壁にサン・ピエトロの印を付して主権者の所在を示すよう命じたというが,7世紀にはローマ・ドゥカトゥスがビザンティン政府の手を離れ,その統治権限が教皇職に受け継がれた結果,教皇はラティウム地方の主権的所有者となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」