世界大百科事典(旧版)内のワルラーモフ,L.の言及
【ソビエト映画】より
…ソビエト映画は特定の個人ではなく集団を主人公として描いてきたが,ロンムM.I.Romm(1901‐71)監督は,十月革命の歴史的な道程のなかのレーニンを人間的にとらえて《十月のレーニン》(1937),続いて《一九一八年のレーニン》(1939)をつくった。
[大祖国戦争とその後]
1941年,ソビエトはドイツの侵略によって最大の危機を迎えたが,この〈大祖国戦争〉のなかでワルラーモフL.Varlamov監督の《スターリングラード》(1943)をはじめ国民の士気を高める記録映画がつくられ,また,ワシレフスカヤの小説をドンスコイM.S.Don‐skoi(1897‐1981)監督が映画化した《戦火の大地》(1944),祖国防衛戦争における18歳のパルチザンの少女を描いたアルンシタムL.O.Arnshtam監督の《ゾーヤ》(1944)などがつくられた。44年,戦争は勝利に終わったが,〈悪い遺産〉といわれた〈スターリン主義〉とともに,とくに巨匠たちの間に形式主義的な政治主義あるいは芸術至上主義が生まれ,エイゼンシテインの《イワン雷帝》(1944)やプドフキンの《ナヒーモフ提督》(1946)はその〈偏向〉が批判されて改作させられた。…
【ドキュメンタリー映画】より
… ソビエトでは,プドフキン,アレクサンドル・ドブジェンコ(1894‐1956)をはじめ一流監督が戦時ドキュメンタリー製作のために動員され,ナチの侵入後まもなく多くのエピソードからなる《戦闘映画選集》が始まり,セルゲイ・ゲラーシモフ(1906‐72),グリゴリー・コージンツェフ(1905‐73),セルゲイ・ユトケビチ(1904‐85)などの〈戦線映画特集〉が41年11月から42年の終わりまで公開された。また,ロマン・カルメーンの《戦うレニングラード》(1942),レオニード・ワルラーモフの《スターリングラード》(1943)というニュース映画を編集したもの2本と,ドブジェンコの《ウクライナの勝利》(1943‐45)のような長編ドキュメンタリーもつくられた。 日本では,日中戦争が泥沼化した1938年に,前線部隊と行動をともにしながら撮影取材を行った亀井文夫の《戦ふ兵隊》が,陸軍省情報部の後援で製作されたにもかかわらず,その〈生命の詩をうたう〉反戦的要素が濃厚すぎて軍当局から公開禁止にされ,以後,40年代に入ると,侵略戦争の激化とともに,〈国民総力戦への戦意昂揚,一億玉砕へと民衆を追い込む宣伝扇動の手段として記録映画は利用された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」