《われら》(読み)われら

世界大百科事典(旧版)内の《われら》の言及

【ザミャーチン】より

…ソビエト初期の息づまるような苦しい生活を描いた《ママイ》《洞窟》《竜》のような風刺作品は,現実の否定的側面をとり上げすぎるという批判を受けた。ロシアの政治体制がこのまま進行し,これに西ヨーロッパのテクノロジーが加わったらどうなるかというアンチ・ユートピア小説《われら》の国外出版(英訳版1924。ロシア語版1927)で,悪質な反ソ作家という烙印(らくいん)を受け,1931年フランスに亡命した。…

【ユートピア】より

… 第2には,反ユートピア(ディストピア)論の登場である。J.ロンドン《鉄のかかと》(1907),E.I.ザミャーチン《われら》(1924),A.L.ハクスリー《すばらしい新世界》(1932),G.オーウェル《1984年》(1949)などの代表例が挙げられる。これらは,理想国家として建設されたはずのユートピアが,かえってその強大な支配力によって人間を不自由化する,というモティーフにもとづいており,社会主義計画経済やケインズ主義政策などの定着の反面であらわになった矛盾に,敏感に反応した文学的表現といえる。…

【ロシア文学】より

…社会主義建設をテーマにしたものはセラフィモービチ《鉄の流れ》(1924),グラトコフ《セメント》(1925),新旧世代の相克をテーマにしたものはA.N.トルストイの1920年に書き始められ,41年に完成した長編三部作《苦悩の中を行く》,オレーシャ《羨望》(1927)などが代表作である。このほかピリニャーク(《裸の年》1922),レオーノフ(《穴熊》1924,《泥棒》1927),エレンブルグ(《トラストD.E.》1923),風刺文学の傑作としてゾシチェンコ(《シネブリューホフ物語》1922),ザミャーチン(《われら》英語版1924,ロシア語版1927),カターエフ(《浪費家》1926),イリフ・ペトロフ(《12の椅子》1928など)の名をあげておく必要がある。(3)第1次五ヵ年計画期(1928‐1932) 社会主義建設が本格的に開始され,1929年には農業集団化が行われて社会生活のあらゆる領域で深刻な変化が起こった。…

※「《われら》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」