世界大百科事典(旧版)内のワンシーン・ワンカットの言及
【モンタージュ】より
…そしてプドフキンとエイゼンシテインのモンタージュ論は,それぞれの監督作品《母》(1926)と《戦艦ポチョムキン》(1925)で実践されている。 ソビエトのモンタージュ論は,のち30年代の〈社会主義リアリズム〉をへて政治的に批判され,また,第2次世界大戦直後のイタリア〈ネオレアリズモ〉のドキュメンタリー・タッチが世界の映画を変革しはじめたころには,映画の〈演出(ミザンセーヌmise‐en‐scène)〉の基本は〈カット割り(デクパージュdécoupage)〉ではなく,〈劇的空間の持続性の尊重〉を旨とする〈ワンシーン・ワンカット(プランセカンスplan‐séquence)〉にあるとするフランスの映画理論家アンドレ・バザンAndré Bazin(1918‐58)の〈ワンシーン・ワンカット〉説によって否定される形となった。しかし,それが映画の芸術的表現に寄与したところは大きく,映画理論の〈歴史〉においては重要な地位を占めている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」