アズラク派(読み)あずらくは

世界大百科事典(旧版)内のアズラク派の言及

【イスラム】より

… 長い歴史の間に,ハワーリジュ派,シーア派とも極端な行動と主張に走るものがあった。アズラク派は無差別な殺戮で恐れられ,イスマーイール派は,コーランには文字どおりの(ザーヒルẓāhir)解釈のほかに隠された(バーティンbāṭin)奥義的解釈があり,それはムハンマドからアリーを経て代々のイマームに伝授されたと主張し,バーティン派とも呼ばれた。このような主張は,イスラムと無縁な個人崇拝を容認するものとして,スンナ派から厳しく非難されたが,シーア派の一派にはイマームに超人間的な性格を付与し,最も極端な論をなすものは,アリーおよびその子孫のイマームを神の化身とみなすにいたった。…

【ハッジャージュ・ブン・ユースフ】より

イブン・アッズバイルの第2次内乱中,ウマイヤ朝第5代カリフ,アブド・アルマリクに登用されて内乱を終結させ,メディナ総督を経てイラク総督に任命された。ハワーリジュ派の一派であるアズラク派を討伐してイラクの平和を回復し,灌漑や干拓に努めて農業の振興を図った。クーファのアラブ戦士の不満を代表するイブン・アルアシュアスの乱(700‐704)に悩まされたが,新軍営都市ワーシトを建設して武断政治を行い,中央アジア,西北インドを征服させた。…

【ハワーリジュ派】より

…ウマイヤ朝時代に入ると,南イラクを中心としてゲリラ活動を行いながら勢力を拡大し,とくに第2次内乱中に,アラビア半島,西南ペルシアにも活動を広げた。しかし,路線・思想の相違により,過激派のアズラク派,穏健派のイバード派などの諸派に分かれた。その後は,一時的に勢力を増すことはあってもしだいに活動は衰え,アッバース朝の成立後,イラクにおける活動が途絶した。…

※「アズラク派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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