アルト・ペルー(読み)あるとぺるー

世界大百科事典(旧版)内のアルト・ペルーの言及

【サン・マルティン】より

…一方,この間にアルゼンチンでは1810年5月に独立運動が勃発し,それに共鳴したサン・マルティンは,11年9月スペインを去って翌12年3月ブエノス・アイレス市の独立軍に身を投じた。当時独立軍は,東部とアルト・ペルー(現,ボリビア)における王党派の抵抗に悩まされていた。しかし13年2月サン・ロレンソの戦におけるサン・マルティンの勝利は,東部の王党派に致命的な打撃を与えた。…

【ボリビア】より

…インカ帝国は1533年にピサロの率いるスペイン軍に征服され,スペイン植民地となった。今日のボリビアに当たる地域はペルー副王領の管轄下におかれて,アルト・ペルーAlto Perúと呼ばれた。1545年にポトシの銀鉱が発見され,ポトシは新大陸で最大かつ最も富裕な都市になった。…

※「アルト・ペルー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android