アンドルソボの休戦(読み)あんどるそぼのきゅうせん

世界大百科事典(旧版)内のアンドルソボの休戦の言及

【ウクライナ】より

…正式名称=ウクライナUkraina∥Ukraine面積=60万3700km2人口(1996)=5133万人首都=キエフKiev(日本との時差=-7時間)主要言語=ウクライナ語(公用語),ロシア語通貨=フリブナHryvna(1996年8月まではカルボバネッツKarbovanets)ソ連邦を構成する共和国の一つであった〈ウクライナ・ソビエト社会主義共和国Ukrains’ka Radyans’ka Sotsialistichna Respublika〉が,1991年8月24日独立し,国名を〈ウクライナ〉と改称したもの。…

【チェルニゴフ】より

…ウクライナの同名州の州都。人口30万6000(1991)。デスナ河畔の港湾都市で,軽工業,食料品製造,化学工業,木工業が行われている。その名は907年のキエフ・ロシアとビザンティンとの条約中にキエフに次いで2番目に挙げられており,すでに9世紀には存在していたと思われる。11~13世紀初めにはチェルニゴフ公国の首都で,主教座も置かれていた。1237‐40年のモンゴル軍の攻撃により大被害をこうむり,荒廃した。…

【モスクワ・ロシア】より

…しかしロシアはこれに失敗し,バルト海への再度の進出をめざした55‐58年の対スウェーデン戦争も成果を生まなかった。しかしポーランドに対して反乱をおこしたウクライナ・コサックのフメリニツキーがツァーリの主権を認め,これがもとになったポーランドとの戦争(1654‐67)では,ロシアはいち早くスモレンスク地方を回復し,アンドルソボの休戦(1667)ではドニエプル川東岸のウクライナと西岸のキエフなども手にし,86年の〈恒久平和〉でこれを確実なものにした。
[西方文化の摂取]
 ウクライナへの進出でロシアは,クリム・ハーン国の宗主でみずからも黒海北岸に領土をもつトルコとの宿命的対決に入ったが,他方ではウクライナは,モスクワにとって西方の文化が入ってくる重要な通路であった。…

※「アンドルソボの休戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」