イギリス・ポルトガル通商条約(読み)いぎりすぽるとがるつうしょうじょうやく

世界大百科事典(旧版)内のイギリス・ポルトガル通商条約の言及

【ジョアン[6世]】より

…ナポレオンの大陸封鎖令に服さなかったため,1807年フランス軍の侵略を受け,同年11月摂政ジョアンは本国の統治をイギリス人ベレスフォードにゆだね,宮廷もろともブラジルに亡命した。イギリスの圧力で調印されたブラジルの開港(1808),イギリス・ポルトガル通商条約(1810)はポルトガルの経済に壊滅的な打撃を与えた。20年本国のポルトで商業ブルジョアジーを中心とする自由主義革命が起こり,急拠帰国したジョアン6世は彼らの要求を承認した。…

※「イギリス・ポルトガル通商条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」