イコン礼拝派(読み)いこんれいはいは

世界大百科事典(旧版)内のイコン礼拝派の言及

【イコノクラスム】より

… ビザンティン帝国のイコノクラスムは,時代的に,787年コンスタンティノス5世の母である摂政イレネのもとでニカエア公会議がイコン礼拝を復活してから,レオン5世が815年それを再び禁止するまでの一時期をはさんで,第1期,第2期に分かれ,843年ミハエル3世の母である摂政テオドラが再びそれを復活して,イコノクラスムは最終的に終わった。 神学的に議論が深化したのは第1期であり,イコン礼拝派には,8世紀前半,ダマスクスの修道士ヨハネスが現れ,キリスト本体論を論拠に,ロゴスの人間化ゆえにキリストのイコンは正しい,不可視の神は像化できないが,キリストは,神が人として現れたものであるゆえ像化できる,この人間化により物質は浄化され,物質もキリストを描くのにふさわしいものとなった,イコン礼拝はしたがってこの浄化に対する信仰告白を意味する,とした。 これに反駁したのがコンスタンティノス5世であり,キリストの像化はその神性の像化ゆえに許されない,キリストの唯一の真の像は聖餐でしかなく,ここにおいてのみ,像とその本体との同一性が保持されている,と主張した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」