オスティアの海戦(読み)おすてぃあのかいせん

世界大百科事典(旧版)内のオスティアの海戦の言及

【オスティア】より

…4世紀初頭に司教座が置かれて,そこからローマの司教が任命されるという重要な役割を果たしたが,8,9世紀にアラブが西地中海を制覇してからは,交易港としての地位を完全に失い,数少なくなっていた住民はグレゴリウス4世が旧オスティア付近に建設した城塞の村に集められてしまった。そして849年,ナポリ,ガエタ,アマルフィの軍団がアラブ勢を敗退させたオスティアの海戦でその名を響かせたのを最後に,うち続く外敵の略奪に疲弊し果て,中世には採石場と化して,この遺跡の石材が,ピサやサレルノにまで運ばれるほどであった。【望月 一史】。…

※「オスティアの海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む