世界大百科事典(旧版)内のカロリング小文字の言及
【カール[大帝]】より
…すなわち教会教区civitasを骨格とし,修道院を肉とし,ガリア典礼を改訂したローマ典礼を血液としたものである。この〈典礼改革〉とその普及が,宮廷学校以下諸学校でラテン語教育が励行された原動力であり,それは,修道院が今日のいわゆる小文字である〈カロリング小文字minuscules carolines〉を作り出した。また,彼の王直領地と修道院・教会領は,荘園の経営法の模範となった。…
【書】より
…南イタリアでは躍動的で独特のリズムをもったベネベント体Beneventanが発達し,モンテ・カッシノ修道院工房を中心にダルマツィアにまで広がり,13世紀ごろまで隆盛をみた。 カール大帝治下のカロリング朝では,古代復興政策の下に規則的で均衡のとれた明快なカロリング小文字Carolingian minusculeが使用され(《ゴデスカルク福音書》8世紀末,等),800年ころまでに帝国の諸工房に急速に普及した。しかし,12世紀末には書法は正硬な様式化へ向かい,いわゆる黒字体black letter(ドイツ字体)あるいはゴシック体Gothicが生まれた。…
※「カロリング小文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」