ガンの和平(読み)がんのわへい

世界大百科事典(旧版)内のガンの和平の言及

【ウィレム[1世]】より

…その後も政府批判の態度を変えず,67年アルバ公の来任に先立って故郷に亡命,自ら起こした解放の軍はいずれも失敗したが,72年末ホラントに赴き,〈海乞食(乞食団)〉の活躍により進展中の反乱を指導した。76年〈ガンの和平〉により一時は全ネーデルラント結束の宿願を果たし,ブリュッセル,ついでアントワープでこの結束の強化に腐心したが,79年アラス,ユトレヒト両同盟の成立とともに南北間に深い亀裂が生じた。81年フェリペ2世の廃位を決定,その後新君主として迎えたフランス王弟アンジュー公の不人気と暴挙により,ウィレム自身も不評を買い,83年ホラントに帰り,翌年デルフトで暗殺された。…

※「ガンの和平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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