世界大百科事典(旧版)内のキャラハン,L.J.の言及
【イギリス】より
…ポンドは急落し,76年には1ポンド=1.5ドルにまで低下し,信認危機に直面した。76年にキャラハンが首相となって,IMFからの融資などで危機を乗り切るが,賃上げに対する政府介入をきらう動きが強まり,社会契約路線は78-79年冬のストライキの頻発と社会不安の中で破綻した。
[サッチャリズム,ビッグバン--1980年代]
1979年に誕生した保守党サッチャー政権は自由主義の理念の下に伝統的経済政策を大きく変えた。…
【労働党】より
…つづくウィルソン第2次内閣(1974‐76)は,インフレ進行,低率投資,外貨危機の中で急進的プログラムを捨て,組合との〈社会契約〉もその力点が社会改革から所得制限に移った。76年新党首キャラハンLeonard James Callaghan(1912‐ )の政権下で迎えた通貨危機は,国際通貨基金からの借入れで切り抜けたが,公共投資や賃金の抑制を強いられ,やがて一連の労働争議を誘発し,79年の総選挙で敗退した。このとき組合員の3分の1が保守党に投票したことから労働党の歴史的後退が指摘され,この傾向は83年総選挙でさらに強まり,この年の得票率28.3%は1918年来の最低を記録した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」