ギヨーム・カルル(読み)ぎよーむかるる

世界大百科事典(旧版)内のギヨーム・カルルの言及

【ジャックリーの乱】より

…農民は領主館をおそい領主の家族を殺傷し保管文書を焼却した。一揆は自然発生的であったが,ギヨーム・カルルGuillaume Carle(Cale,Charles)という退役戦士に指導されるようになり,都市との提携,とくにパリで反乱を起こしたエティエンヌ・マルセルとの結合をはかった。しかし,フランスとイギリスの貴族は同盟しナバール王シャルル・ル・モーベーCharles II,le Mauvais(悪王)の配下に結集し,6月に入って,約1万の反乱農民はモーおよびクレルモンで殲滅(せんめつ)され(6月9日~10日),指導者カルルは斬首された。…

※「ギヨーム・カルル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」