クック・トゥア・ミ(読み)くっくとぅあみ

世界大百科事典(旧版)内のクック・トゥア・ミの言及

【クック氏】より

…唐代では交州(ハノイ)に安南都護府が設置され,雲南の南詔,中部ベトナムのチャンパのおさえとなっていたが,唐末906年以降,在地土豪のクック・トゥア・ズー(曲承裕)が,907年にはクック・ハオ(曲顥)がベトナム北部を治める静海軍節度使に任じられた。915年ハオの子クック・トゥア・ミ(曲承美)は中原の梁に遣使して節度使に任ぜられたが,これは南漢劉氏の介入を招き,923年の梁滅亡とともに南漢軍は交州に入ってトゥア・ミを捕らえ,将李進を交州刺史とした。しかし彼も931年クック氏の旧将ズオン・ディン・ゲ(楊廷芸)に追われ,ベトナムはまたその独立を回復した。…

※「クック・トゥア・ミ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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