…1890年のシャーマン法(独占禁止法)の制定はこれら反トラスト運動の要求に対するひとつの解答を示したものにほかならない。また,合併や不公正な競争を禁止してシャーマン法の不備を補う,クレートン法や連邦取引委員会法(ともに1914)が制定されたり,あるいは労働条件の改善,累進所得税,関税引下げなどが引き続いて実施されたが,それらはすべて,〈革新主義(プログレッシビズム)〉と呼ばれるこの時代の所産である。しかし,以上の社会改良的諸施策は,必ずしも十分なものであったとはいえないばかりか,早くも1920年代には,共和党政権下において再び自由放任主義への復帰すらみられた。…
…AT法は三つの主要な法令から成っている。すなわち,シャーマン法Sherman Act(1890制定),および,のちにこれを補強する形で制定されたクレートン法Clayton Act(1914制定),連邦取引委員会法Federal Trade Commission Act(1914制定)の3法である。AT法による規制内容は,これらの3法とそれらを解釈した数多い判例から成り立っている。…
…同法は,政府が国民の経済的競争の手段・方法の審判者として限定的・消極的に経済活動に介入し,このような政府の監視の下で一定のルールにのっとった自由競争を行わせることを意図するものであった。その後,1914年にシャーマン法の不備を補うためにクレートン法Clayton Actと連邦取引委員会法Federal Trade Commission Actとが制定されることにより,日本の独占禁止法のモデルともなったアメリカのアンチ・トラスト法制が整った。 第2次大戦後,敗戦国たる日本や西ドイツが,アメリカの占領政策の下で独占禁止法制を有することとなったのをはじめとして,ヨーロッパの各国もアメリカの経済的・政治的な影響の下で,それぞれの国情にあわせて独占禁止法制を整備するようになった。…
…このような多数の巨大トラストがこの時期に成立したために,アメリカは〈トラストの母国〉といわれる。しかし1914年のクレートン法および50年のセラー=キーフォーバー法Celler‐Kefauver Actの制定によって,競争を実質的に制限するおそれのある株式取得および資産取得が制限されることになったため,新方式のトラストの成立も制限された。さらに1900年前後に成立した巨大トラストの多くが,上記の反トラスト諸法によって企業分割措置を受けることになった。…
…多産業にわたって構成されたピラミッド型支配構造がコンツェルンであり,同一産業内のそれがトラストである。持株会社による企業集中は,アメリカではコモン・ローによって違法とされた受託者トラストに代わる形態として,19世紀末から20世紀初頭にかけて盛んに行われたが,1914年のクレートン法(アンチ・トラスト法)によって設立に制限が設けられた。USスチール社は1901年に設立された代表的な持株会社であった。…
…まずイギリスでは団結禁止撤廃法(1824‐25)により労働者の組合加入の自由が認められ,その後19世紀末にかけての一連の法律により労働組合の法的地位が強化され,労働争議法(1906)により組合の争議に対する民事免責が認められるに至った。フランスでは1864年に法が団結禁止を撤廃し,次いで労働組合法(1884)が組合加入の自由を認め,またアメリカでは,ハント事件判決(1842)により組合の団体活動を刑事共謀であるとする判例法理が廃棄され,20世紀に入ってクレートン法(1914),およびノリス=ラ・ガーディア法(1932)により争議行為の民事免責が認められるに至る。一方,ドイツその他の西欧諸国でも,第1次大戦前後までには労働組合活動の自由が認められ,第2次大戦後までには,なんらかのかたちで争議行為の民事・刑事免責が与えられることになった。…
※「クレートン法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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