世界大百科事典(旧版)内のコーカンド自治政府の言及
【コーカンド】より
…中央アジア,ウズベキスタン共和国東部のフェルガナ盆地西側,ソフ川下流の都市。人口18万4000(1993)。フェルガナ盆地は有数の綿花,ブドウ栽培地帯で,この町にも綿花精製・化学肥料・食料品工業がある。10世紀にアラビア語フワーカンドKhuwākand等の名ですでに知られていたインド~中国間の隊商路の町。13世紀モンゴルに破壊された。1732年エスキ・クルガン要塞の場所に今日の町が生まれたが,その際12の門をもつ全長10kmの城壁が建設された。…
【ジャディディズム】より
…17年以前は明確な組織・綱領をもたない各地の多様な諸集団,諸潮流であり,パン・トルコ主義,パン・イスラム主義と影響し合った。二月革命後,シュロ・イ・イスラム党(トルキスタン),青年ブハラ党,青年ヒバ党などを結成,十月革命後ソビエト権力と対立,トルキスタンのコーカンド自治政府(1917‐18),中央アジア一帯を激しくおおった内戦期の武装抵抗バスマチ運動(1917‐26)の一翼を担った。ムスリム地域に根強い影響力をもち,バスマチの武装抵抗は一部では30年代初頭まで続いた。…
※「コーカンド自治政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」