イチロー(読み)いちろー

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イチロー」の意味・わかりやすい解説

イチロー
いちろー
(1973― )

プロ野球選手(右投左打)。アメリカ大リーグ(メジャー・リーグ)外野手。愛知県生まれ。本名鈴木一朗。愛知工業大学名電高校では投手として甲子園に出場した。1991年(平成3)にオリックス・ブルーウェーブ(現、オリックス・バファローズ)からドラフト4位で外野手として指名されて入団、1年目にウェスタン・リーグ(二軍リーグ)の首位打者となった。3年目の1994年にはオープン戦で活躍し、監督仰木彬(おおぎあきら)(1935―2005)によって、「イチロー」という登録名で一軍に起用された。独特の振り子打法で、一時4割近い打率をマーク、1シーズン210安打という、日本のプロ野球としては空前の大記録をつくって首位打者を獲得した。以後、セントラル、パシフィック両リーグで「イチロー」に倣い、愛称を登録名とする選手が現れた。翌1995年には首位打者に加えて打点王と盗塁王もあわせて獲得し、2000年(平成12)まで7年連続パ・リーグの首位打者。2000年11月にアメリカ大リーグ(アメリカン・リーグ)のシアトル・マリナーズとメジャー契約を結んだ(登録名は「ICHIRO」)。2001年の開幕戦からレギュラーとして活躍。同年の大リーグ・オールスター戦には、ア・ナ(アメリカン・ナショナル)両リーグを通じて最多得票で選出された。2001年シーズンで、新人では史上初の首位打者と盗塁王の2冠を獲得、またア・リーグの新人王、最優秀選手MVP)にも選出された。2002年シーズンは、首位打者獲得は逃したものの、2年連続で200本安打を達成するなど活躍した。2004年シーズンにはジョージ・シスラーGeorge Sisler(1893―1973)がもっていた大リーグの年間最多安打記録(257安打)を84年ぶりに更新、年間262安打を記録した。また、打率3割7分2厘で2回目のア・リーグ首位打者となった。2005年シーズンには大リーグ通算1000安打を達成。

[森岡 浩 2020年6月23日]

2006年以降

2006年シーズンは年間224安打を放ち、大リーグ史上3人目となる6年連続200本安打を達成。シーズン前に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表の中心選手として活躍、優勝原動力となった。2007年は3割5分1厘の高打率を残し、238安打で2年連続シーズン最多安打のタイトルを獲得、連続200本安打の記録を7年に延ばした。また、7年連続で出場したオールスター戦では、オールスター戦史上初となるランニングホームランを放ち、日本人初のMVPに選ばれた。その後、ヤンキース、マーリンズを経て、2018年マリナーズに復帰。翌2019年(平成31)3月に東京ドームで行われた開幕シリーズのアスレチックス戦を最後に現役引退した。

 日本での9年間の通算成績は、出場試合951、安打1278、打率3割5分3厘、本塁打118、打点529、盗塁199。獲得したおもなタイトルは、首位打者7回、打点王1回、最多安打5回、盗塁王1回、MVP3回、ベストナイン7回、ゴールデン・グラブ賞7回。2019年までの大リーグ通算成績は、出場試合2653、安打3089、打率3割1分1厘、本塁打117、打点780、盗塁509。獲得したおもなタイトルは、新人王、首位打者2回、最多安打7回、MVP1回、盗塁王1回、ゴールドグラブ賞10回。

[森岡 浩・編集部 2020年6月23日]

『梅田香子著『イチロー・ルール』(2001・扶桑社)』『イチロー担当記者グループ編『ICHIRO――セーフコ・フィールド物語』(2001・ラインブックス)』『シアトルタイムズ記者グループ著、夏目大訳『イチロー262――地元紙が伝えるメジャー新記録への軌跡』(2005・イースト・プレス)』『本郷陽二編『イチロー(侍メジャーリーガー列伝)』(2015・汐文社)』『別冊宝島編集部編『証言イチロー「孤高の天才」の素顔と生き様』(2019・宝島社)』『石田雄太著『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡 2000―2019』(2019・文藝春秋)』『『Sports Graphic Number PLUS ICHIRO forever イチローのすべて 永久保存版』(2020・文藝春秋)』『佐藤健著『新編 イチロー物語』(中公文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イチロー」の意味・わかりやすい解説

イチロー

[生]1973.10.22. 愛知,豊山
プロ野球選手。本名鈴木一朗。高校卒業後,1991年プロ野球のオリックス・ブルーウェーブに入団。 1994年仰木彬監督により2番打者に抜擢され (その後1番打者に定着) 驚異的な活躍をみせ,シーズン終了時の打率は当時の日本プロ野球の歴代2位にあたる3割8分5厘。 2000年まで7年連続でパシフィックリーグの首位打者となり,通算平均打率3割5分3厘を記録。 1995,1996年にオリックスをリーグ優勝 (1996年は日本シリーズ制覇) に導いた。 2001年大リーグのシアトル・マリナーズに入団,日本人野手として初めて大リーグ入りを果たした。同年アメリカンリーグの首位打者 (3割5分0厘) ,盗塁王 (56) ,新人王,最優秀選手 MVP,ゴールドグラブ賞に輝く。 2004年にはジョージ・シスラーの年間最多安打記録 257を 84年ぶりに塗り替える 262安打を打った。パワーヒッターではないものの,俊足とバットコントロールの巧みさは他の追随を許さず,外野手としても強肩と正確な送球で高く評価された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android