世界大百科事典(旧版)内のサエンス・ペーニャ,R.の言及
【イリゴージェン】より
…96年アレム自殺のあと党の最高指導者となり,当時頻繁に繰り返された選挙への行政府の介入に反対して,選挙ボイコット戦術を打ち出した。1905年党の再度の武装蜂起はまたも失敗に終わったが,当時の保守的支配層に大きな衝撃を与え,12年サエンス・ペーニャRoque Sáenz Peña大統領は,行政府の選挙介入を阻止する新選挙法を公布。この選挙法による最初の大統領選(1916)で,イリゴージェンは中間層などの支持を得て当選をはたし,地主層を支持基盤とした従来の政治体制にさまざまなメスを加えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」