シャノアーヌ,C.S.J.(読み)しゃのあーぬ

世界大百科事典(旧版)内のシャノアーヌ,C.S.J.の言及

【軍制】より

…その要員は中級の旗本たちに差し出させる,いわゆる兵賦制であったが,重歩兵の人的資源はしだいに,旗本の家人から士農工商の差別をこえた層に移っていった。 やがて幕府とフランスの関係が強まり,横須賀に製鉄所(造船所)が,横浜にフランス語学校が設けられ,67年(慶応3)にはシャノアーヌCharles S.J.Chanoine(1835‐1915)団長ら15名のフランス軍事顧問団が来日,横浜の太田陣屋で(後には江戸)歩,砲,騎の訓練が始められた。一方,顧問団はかなりの数の意見書を幕府に提出,幕府も実行に努めた。…

【フランス】より

… ベルクールの後任L.ロッシュはイスラム世界で長く外交官の経験があり,アラビア語に堪能でイスラムに改宗し,現地語の重要性をよく認識していたので,1864年日本に着任すると,日本語に習熟したメルメ・ド・カション神父を外交官に採用し,薩長を支持するイギリスに対抗して幕府を支持した。さらにメルメ・ド・カションが箱館で交際した栗本瀬兵衛(鋤雲)や小栗上野介忠順(ただまさ)ら,幕府の親仏派と結び,技師ベルニーFrançois Léonce Verny(1837‐1908)を来日させて横浜製鉄所,横須賀造船所を建設させ,後にドレフュス事件の際の陸軍大臣となるシャノアーヌJules Chanoine(1835‐1915)大尉を筆頭とする軍事顧問団を送り,富岡製糸場のためにはブリュナPaul Brunat(1840‐1908?)を呼んだ。65年にはメルメ・ド・カションに横浜フランス語学校を開かせ,67年のパリ万国博覧会には幕府に日本館を出させるとともに,将軍慶喜の弟,徳川昭武をフランスに留学させた。…

※「シャノアーヌ,C.S.J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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