シュトルクナフンテ(読み)しゅとるくなふんて

世界大百科事典(旧版)内のシュトルクナフンテの言及

【エラム】より

…エラムの主要都市スーサに王国が成立したのは前19世紀半ばであり,〈アンシャンおよびスーサの王〉の称号もこの時はじめて現れる。中期エラム(前1330ころ‐前1110ころ)の時代が最盛期で,ドゥル・ウンタシュ(現,チョガ・ザンビル)に巨大なジッグラトを建設したウンタシュナピリシャ,バビロニアを征服してハンムラピ法典の石碑をスーサに持ち帰ったシュトルクナフンテが有名である。新エラム王国(前750ころ‐前639)はバビロニアと同盟してアッシリア帝国に対抗したが,アッシュールバニパルの遠征軍による首都スーサの破壊によって,滅亡した。…

【スーサ】より

…いわゆるスーサ第II様式の彩文土器は前3千年紀中ごろで,バビロニア初期王朝期に並行し,次のアッカド時代にスーサは征服されてその支配下にはいり,ウル第3王朝時代までバビロニアの支配者による神殿の建設活動が行われた。前2千年紀前半には,エラムにおける都市スーサの位置は低かったが,前14~前12世紀は栄光の時代で,アッカド時代やウル第3王朝時代に建設された神殿が復興され,シュトルクナフンテ王(前12世紀)はバビロニアを攻略して,ナラムシンの戦勝碑やハンムラピ法典碑を持ち帰りエラムの神インシュシナクにささげた。 アッシリアの略奪を受けたのち,ダレイオス1世が〈王の道〉の通るここに首都を建設すると,スーサの様相は一変した。…

※「シュトルクナフンテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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