世界大百科事典(旧版)内のシュルッパク文書の言及
【シュメール】より
…このIII期に初めてシュメール,アッカド全体が一つの政治舞台となり,対エラム防衛の戦略上の拠点ギルス・ラガシュ複合都市国家に,エアンナトゥムを第3代の支配者(エンシ)とする,ウルナンシェの創始した9代にわたる王朝が出現し,彼らの政治的碑文が初めてこの地の政治史の再構成を可能にする。ことに第7,8代の支配者と最後の簒奪王・改革王ウルカギナの3代の治世からは,III期の初めあるいは半ばに位置するとされる〈シュルッパク文書〉よりさらに詳細かつ凝縮的となった行政・経済文書が出土して,緊張の極に達したシュメール都市国家の権力基盤や社会・経済組織解明の鍵を提供する。ウルカギナはラガシュ都市国家の宿敵ウンマの支配者ルガルザゲシに倒され,ルガルザゲシはウルク王となってシュメール,アッカドの全土を征服するが(ウルク王の在位25年),セム系のアッカド王サルゴンに敗れ,シュメールの地はアッカド帝国の支配下に入った。…
【シュルッパク】より
…他の伝承はウバルトゥトゥの子(ないし孫)のジウスドラが〈大洪水〉に生き残ったことを伝えている。初期王朝期III期初頭の粘土板(語彙リスト,行政・経済文書など)が多く出土しており,その書体が北部シュメールの遺跡アブー・サラビフAbū Salabikh,シリアのエブラ出土文書のそれに酷似しているところから,近年にわかにシュルッパク文書研究が活発化した。ただし,シュメール政治史上のシュルッパクの位置については不明な点が多い。…
※「シュルッパク文書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」