世界大百科事典(旧版)内のスパンナプームの言及
【タイ】より
…王都アユタヤは,パサック,メナム両河の舟運を利用して,後背地の物産獲得が容易な地点に立地していると同時に,南に向かってはタイ湾を経て海上交易路と直結していたため,やがて東南アジア大陸部最大の商業・政治都市へと発展した。創始者ラーマティボディ1世(在位1351‐69)の死後,ウートーン(ロッブリー),スパンナプーム(スパンブリー)両王家の確執が続いたが,15世紀以降スパンナプーム王家の支配権が確立し,1432年にはアンコール朝をも滅ぼし,その威勢は遠くマラッカにまで及ぶ大国に発展した。16世紀中葉,ビルマの侵攻を受け国内の統一は一時失われたが,ナレースエン大王(在位1590‐1605)がでて独立を回復し,従前に勝る強力な支配体制を確立した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」