世界大百科事典(旧版)内のタゴール,D.の言及
【ケーシャブ・チャンドラ・セーン】より
…世界各地の宗教聖典からの引用で祈禱の書を編み,サティーを廃して寡婦再婚を認め,幼児婚,一夫多妻制などに反対し,さまざまな学校を設立した。やがて,彼のキリスト教志向が強まるにつれ,ヒンドゥー教的な伝統を重視するデーベーンドラナート・タゴールなどから不満が噴出,ついに同協会は分裂するにいたった。その後,彼は《ナバ・ビダーナNava Vidhāna(神の新しい啓示)》を公表,キリスト教的な儀礼を中心にした一大宗教の確立を図ったが,死後,後継指導者にめぐまれず,挫折した。…
【ブラフマ・サマージ】より
…1828年R.M.ローイがカルカッタにブラフマ・サバーを結成した時点をもって,ブラフマ・サマージの創設とみなすのが通説である。唯一・無形・遍在の神を礼拝し,偶像崇拝を排し,普遍的信仰を標榜するブラフマ・サバーの活動は,ローイの渡英(1830年末)以降振るわず,43年タゴールDevendranāth Tagore(1817‐1905)が20名の青年を率いて入門儀礼を受けることによって復活した。事実上ブラフマ・サマージを組織し,ブラフマ信仰を神学的に基礎づけたのはタゴールである。…
※「タゴール,D.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」