タマニー派(読み)たまにーは

世界大百科事典(旧版)内のタマニー派の言及

【星亨】より

…しかし相馬事件と取引所収賄事件(1893)を契機に,議員を除名されてしまう。96年駐米公使となり,一方で関税問題やハワイ問題の解決に取り組むとともに,他方で流入する移民・貧困層の援助をすることでニューヨーク市政の多数を占めていたタマニー派(タマニー・ホール)の研究を進める。98年に成立した隈板内閣(第1次大隈重信内閣)にいれられないとわかるや,帰国して旧自由党系を中心とする憲政党を結成し,第2次山県有朋内閣と提携して地租増徴法案の成立に努力するとともに,積極主義による地方での党勢拡大に努めた。…

※「タマニー派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」