タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(読み)たんがにーかあふりかじんみんぞくどうめい

世界大百科事典(旧版)内のタンガニーカ・アフリカ人民族同盟の言及

【タンザニア】より

… 第2次大戦後,タンガニーカは国際連合の信託統治領となった。50年代に入ると民族運動が高まり,54年7月にタンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)が結成された。党首のニエレレの指導のもとにTANUは急速に全国的な組織となり,独立を目ざして国連への提訴などを行った。…

【ニエレレ】より

…卒業後タンガニーカに戻り,カトリックのミッション系高校で教えた後,49年イギリスに留学,エジンバラ大学より文学修士号を得て52年帰国した。53年タンガニーカ・アフリカ人協会の会長となり,翌年7月,最初の政党タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)を創設して党首となった。その後活発に民族主義運動を推進し,TANUを強力な全国組織に育て上げ,61年のタンガニーカ独立時には首相となった。…

※「タンガニーカ・アフリカ人民族同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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