タンプル大通り(読み)たんぷるおおどおり

世界大百科事典(旧版)内のタンプル大通りの言及

【フランス演劇】より

…それに反して,マリボーの喜劇(彼は,L.リッコボーニを団長として再びパリに定住していたイタリア喜劇団のために,そのコメディア・デラルテの〈役者体〉を使って,《偽りの告白》《二重の心変り》等の残酷なまでに洗練された恋の駆引きの遊戯を書く),A.R.ルサージュの〈風刺歌付喜劇(ボードビル)〉をはじめとする市の〈縁日芝居〉(市はサン・ジェルマンやサン・ローランの修道院領内で2ヵ月近く開かれた),そのような〈縁日芝居〉のダイナミックな喜劇性と危険な官能的遊戯を取り返した《フィガロの結婚》によって大革命前夜のパリを沸かせたボーマルシェ,古き悲劇に代わる〈市民劇(ドラム・ブルジョア)〉の理念を提唱し,また俳優という両義的存在について哲学的反省を展開したディドロ(《俳優についての逆説》が書かれた時代は,悲劇女優クレロン嬢の《回想録》を生む時代でもあった),これらが18世紀の変革の側にいる。特に市の芝居の隆盛の結果として,1759年以降,パリ北東の周縁部に当たるタンプル大通りに常設小屋が急増し,市の芝居で当たっていた〈オペラ・コミック〉をはじめとする新旧さまざまな舞台表現の場となり,特に大革命の〈人権宣言〉によって劇場開設権が万人のものと認められて以来(もちろん,まったくそのとおりにいったわけではなかったが),都市の周縁部の〈劇場街〉が,修道院の市のごとき〈宗規的時空〉からまったく自由に,かつ公式の劇場のような国庫補助も受けずに出現し隆盛を誇ったことは,フランス演劇史上の特筆すべき大事件であった。映画《天井桟敷の人々》(1944)は,のちの19世紀30年代のタンプル大通りをみごとに再現したが,この芝居街は第二帝政下,1860年代にオスマン男爵の都市計画で取り壊される。…

【メロドラマ】より

…古典劇のほとんどでは,題名が劇中の主人公を表し,場所は一つに限定されているのに対して,メロドラマでは地方色を表すさまざまな装置の変化が特徴的である。こうして19世紀初頭,代表的なメロドラマ作者ギルベール・ド・ピクセレクールが現れるに及んで,メロドラマは,パリのタンプル大通りに密集する劇場で全盛を極め,以下に述べるようなその演目の内容から,タンプル大通りには〈犯罪大通りBoulevard du Crime〉という別名も生まれた。 メロドラマの内容としては,当時流行したゴシック・ロマンス怪奇小説の影響が大きい(フランスではこれらの小説は〈ロマン・ノアール〉(暗黒小説)と呼ばれた)。…

※「タンプル大通り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」