世界大百科事典(旧版)内のチャオプラヤー・プラクランの言及
【サームコック】より
…元末明初の羅貫中作《三国志演義》のタイ語欽定訳本。ラーマ1世の1802年ごろ,詩人チャオプラヤー・プラクラン(本名ホン)が翻訳主任に任命され,福建華僑の口述をもとに訳を完成させた。かなりの誤訳があるものの,訳文は流麗簡潔一字も間然するところがなく,タイ語散文の最高傑作と称される。…
【タイ】より
…残巻中の詩劇には《マノーラー》《法螺貝王子》《カーウィー》など14編があるが,《クライトーン》など6作もすでにあったと思われる。 ラタナコーシン朝のラーマ1世時代(1782‐1809)には古代インドの叙事詩《ラーマーヤナ》のタイ版《ラーマキエン》が王宮で合作され,チャオプラヤー・プラクランはモン語から《王中の王》を,また王命により《三国志演義》を《サームコック》と題して訳した。後者は散文の規範とされ,インド風の物語に食傷気味だった文学界に清新な風を呼び込み,以後三十数編の中国歴史小説が訳された。…
※「チャオプラヤー・プラクラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」