世界大百科事典(旧版)内のティグラネス[2世]の言及
【アルメニア】より
…アケメネス朝とそれに続くヘレニズム時代には,オロンテス(エルバンド)朝(前401‐前200),アルタシェス(アルタクス)朝(前190‐前1世紀,〈大アルメニア王国〉とも呼ぶ)が興った。アルタシェス朝はティグラン(ティグラネス)大王(在位,前95‐前55)の治世下に最盛期を迎え,領土は黒海,カスピ海,地中海に達した。王は,広大な領土の中央に新都ティグラノケルト(トルコ南西部)を置いた。…
【パルティア】より
…しかし,治世末期に王と貴族の対立が激化し,王弟ゴタルゼス1世Gotarzes I(在位,前91か90‐前80)が帝国西部において自立した。パルティアの混乱に乗じて,アルメニアのティグラネス2世(大王)はメディア・アトロパテネとメソポタミア北部を占領した。彼はポントスのミトリダテス6世の反ローマ闘争に協力したが,ローマとアルメニアの対立はやがてパルティアを巻き込み,フラアテス3世Phraates III(在位,前71か70‐前58か57)の時代からローマとの長い抗争の歴史が開始された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」