世界大百科事典(旧版)内のティグラネスの言及
【シリア】より
… 前200年ころ以後,シリアはほぼセレウコス朝の下にあったが,諸都市の政治的自由獲得や土着系小王朝(ユダヤ,ナバテア,イトゥラエア,コンマゲネなど)の独立運動のために,ギリシア人は著しく弱体化し,前1世紀初頭になると,その支配はまったく名目化していた。前83年にはアルメニア王ティグラネス1世Tigranēs Iが侵入し,アンティオキアを占領した。このころまでに東方進出政策を推進していたローマ人は,これに介入して将軍ポンペイウスを派遣し,シリアをローマの属州とし(前64),小王国や都市には自治を許した。…
【アルメニア】より
…アケメネス朝とそれに続くヘレニズム時代には,オロンテス(エルバンド)朝(前401‐前200),アルタシェス(アルタクス)朝(前190‐前1世紀,〈大アルメニア王国〉とも呼ぶ)が興った。アルタシェス朝はティグラン(ティグラネス)大王(在位,前95‐前55)の治世下に最盛期を迎え,領土は黒海,カスピ海,地中海に達した。王は,広大な領土の中央に新都ティグラノケルト(トルコ南西部)を置いた。…
【パルティア】より
…しかし,治世末期に王と貴族の対立が激化し,王弟ゴタルゼス1世Gotarzes I(在位,前91か90‐前80)が帝国西部において自立した。パルティアの混乱に乗じて,アルメニアのティグラネス2世(大王)はメディア・アトロパテネとメソポタミア北部を占領した。彼はポントスのミトリダテス6世の反ローマ闘争に協力したが,ローマとアルメニアの対立はやがてパルティアを巻き込み,フラアテス3世Phraates III(在位,前71か70‐前58か57)の時代からローマとの長い抗争の歴史が開始された。…
※「ティグラネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」