ティソン・デツェン(読み)てぃそんでつぇん

世界大百科事典(旧版)内のティソン・デツェンの言及

【シャーンタラクシタ】より

…ザホル国の王子に生まれ,ジュニャーナガルバについて出家し,ナーランダー僧院の長老となったと伝える。その後チベットのティソンデツェン王に招かれ,2度にわたってチベット入りし,サムイェー寺を創建,チベット人初の出家者を出すなど,インド仏教をチベットにひろめるのに尽力した。死に際し,当時チベットにひろまりつつあった中国仏教との論争を予想し,弟子のカマラシーラを招くように指示したという。…

【吐蕃】より

… 安史の乱以後吐蕃は軍事的に優位に立ち,一度は長安にも踏みこんで,ついには河西回廊,西域南道の大部分を含めて霊州と隴山(ろうざん)を結ぶ線の西側を支配するにいたった。同じころの761年ティソン・デツェン王(742‐797)は仏教を国教とする方針を立てて唐,ネパールに使者を送り,名僧シャーンタラクシタを呼んでサムイェー大僧院を建立し,教団を発足させた。9世紀初頭には教団指導者が台頭して国政の頂点に立ち,821年(長慶1)と23年に唐,ウイグルとの和平条約をそれぞれ締結した。…

【ラマ教】より

…その夫である王の晩年,タクマルに2寺が建てられ,仏教を学ぶために若者が数人唐に遣わされて成都浄衆寺の金和尚(無相)から禅の教えを受けて帰国したといわれる。ついで立ったティソン・デツェン王(742‐797)は761年に仏教の国教化を決意して,使を唐やネパールに送り,インドの名僧シャーンタラクシタ(寂護)を迎え,パドマサンババ(蓮華生)の協力をえて775年からサムイェー大僧院群の建立にかかり,779年にチベット人の僧に初めて説一切有部の具足戒を授けて僧伽を発足させ,その指導下で梵語仏典を主とする訳経事業が始められた。786年敦煌が陥落すると,その地から招かれた漢人僧摩訶衍(まかえん)が利他行を重視した不思不観の禅の教えを流行させたので,インド系仏教徒との間で宗論が起った。…

※「ティソン・デツェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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