デュシャン・ビヨン,R.(読み)でゅしゃんびよん

世界大百科事典(旧版)内のデュシャン・ビヨン,R.の言及

【キュビスム】より

… 〈ピュトー派〉は,11年のアンデパンダン展での大規模な集団展示を皮切りに,波状的な示威運動を続けたが,特に12年の〈セクシヨン・ドールSection d’or(黄金分割)〉展には,ピカソとブラックの創始者を除いて,この造形的傾向に共鳴するほとんどの画家や彫刻家が参加した。おもな出品者は,ビヨン兄弟(J.ビヨン,彫刻家のデュシャン・ビヨンRaymond Duchamp‐Villon(1876‐1918),マルセル・デュシャン),グレーズAlbert Gleizes(1881‐1953),メッツァンジェJean Metzinger(1883‐1957),ピカビア,ラ・フレネーRoger de La Fresnay(1885‐1925),レジェローランサン,マルクーシスLouis Marcoussis(1878‐1941。本名Ludwig Markus),〈洗濯船〉グループのグリス,それに彫刻家のロートAndré Lhote(1885‐1962)らである。…

【デュシャン】より

…数少ない作品とおびただしいメモを残したが,その思想と生き方によって,既成の芸術概念を否定し,とくに第2次大戦後の現代美術に大きな影響を与えた。1904年パリに赴き,長兄ジャック・ビヨンJacques Villon(1875‐1963),次兄レーモン・デュシャン・ビヨンRaymond Duchamp‐Villon(1876‐1918)らの〈セクション・ドールSection d’Or〉というキュビスム運動に参加するが,《階段を下りる裸体No.2》(1912)あたりから,肉体をエロス的機械の運動としてとらえる特異な作品を描きはじめ,同年いくつかの名作をやつぎばやに描いた後,絵を描くことを放棄。近代絵画が思想や観念と切り離されて,ただ見るだけの〈網膜的〉楽しみに堕したと考えたからで,女の肉体を奇妙な機械装置として描いた《花嫁》(1912)がほとんど最後の油絵となった。…

※「デュシャン・ビヨン,R.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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