トーランド,G.(読み)とーらんど

世界大百科事典内のトーランド,G.の言及

【アバンギャルド】より

…そのためにいっそう神話化され,〈厳密な科学映画〉〈これまで予想だもされなかった壮大な超映画〉〈政治的同盟映画〉,さらには〈猥褻な映画〉といったさまざまな想像がなされた。しかし,各国の映画界に直接・間接に与えた影響は大きく,オランダの記録映画作家ヨリス・イベンス,ソ連のキノ・プラウダと呼ばれる記録映画の作家ジガ・ベルトフ,イギリスの実験アニメ作家レン・ライ,アメリカのロバート・フローレイ,彼と組んだ名カメラマン,グレッグ・トーランド,といったアバンギャルド映画作家がこの時期に次々と活動を開始した。日本でも衣笠貞之助が,川端康成を中心とした新感覚派のグループのシナリオによって《狂った一頁》(1926)を作り,その手法(フラッシュ・バック,二重露出等々)に飯島正は,ガンスやボルコフの作品との近似を指摘している。…

【偽りの花園】より

…とくにヒロインのベティ・デービスが,夫のハーバート・マーシャルを冷然と見殺しにするシーンは,〈人物を縦の構図に入れこんだ〉(アンドレ・バザン),焦点深度の深いいわゆる〈パン・フォーカス〉撮影の一つの頂点として映画史に残る名場面となった。この作品の前に,すでにオーソン・ウェルズ監督の《市民ケーン》(1941)において画期的な〈パン・フォーカス〉撮影を試みた名カメラマン,グレッグ・トーランド(ワイラーとは《白蛾》(1934)から《我等の生涯の最良の年》に至る名コンビである)が撮影を担当した。ヘルマンは出世作《子供の時間》(1934初演)が映画化される際,ゴールドウィンの依頼でみずからシナリオを書き,次いでシドニー・キングスレーの舞台劇《デッド・エンド》,そして《小狐たち》を脚色。…

【実験映画】より

…のちにハリウッドの監督になるエリア・カザンやL.ジェーコブズなども〈エクスペリメンタル・フィルム〉の製作に参加しているが,助監督時代のロバート・フローレーが自宅のガレージをセットにして,わずか100ドルでつくった《9413の生と死――ハリウッド・エキストラ》(1928。カメラはグレッグ・トーランド),そしてのちにやはりハリウッドの監督になるパウル・フェヨシュの《ラスト・モーメント》(1928。カメラはレオン・シャムロイ)という2本のアバンギャルド映画も注目された。…

【市民ケーン】より

… ふつうのストーリー・テリングに見られる時間的配列を解体して進行し(例えば冒頭でケーンの生涯が紹介されてしまう等々),また,広角レンズを多用し,クレーンを駆使した大胆で奔放な演出が異彩を放った。ニューヨークの近代美術館で映画を見て撮影技法を研究し,とくにジョン・フォードの《駅馬車》(1939)を40回も見たとはいえ,実際に映画を撮った経験のないウェルズを助けたのは,アカデミー撮影賞を受賞した《嵐が丘》(1939)をはじめ《怒りの葡萄》《果てなき旅路》(ともに1940)でいわゆる〈パンフォーカス〉(英語ではディープフォーカスdeep focus)技法を実験していた名カメラマン,グレッグ・トーランドである。トーランドは4人の撮影スタッフを伴って撮影を担当し,〈パンフォーカス〉技法を完成させるとともにウェルズの〈ワンシーン・ワンカット〉演出を可能にした。…

【ワイラー】より

…なお,この作品は1961年にも再度映画化され,日本では《噂の二人》の題で封切られた)をはじめとして,シンクレア・ルイスのベストセラー小説の映画化《孔雀夫人》(1936),シドニー・キングズリーのヒット舞台劇の映画化《デッド・エンド》(1937),エミリー・ブロンテの小説の映画化《嵐が丘》(1939),サマセット・モームの小説(《手紙》)の映画化《月光の女》(1940),さらにリリアン・ヘルマンの舞台劇(《小狐たち》)の映画化《偽りの花園》(1941)等々の文芸映画や,西部劇の秀作《西部の男》(1940)など,多彩な分野で数多くの話題作をつくった。〈完全主義者〉とよばれたワイラーの〈スタイル〉の形成にもっとも力のあったのは《この三人》以来多くの作品で協力したカメラマン,グレッグ・トーランドGregg Toland(1909‐48。オーソン・ウェルズの《市民ケーン》のカメラマンとしても知られる)であるといわれる。…

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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報