世界大百科事典(旧版)内のハーッサの言及
【イスラム】より
…しかしこれらの遊牧民は,農村社会と共存し,国家体制に協力する反面,中央権力が弱まれば,ただちに農村やメッカ巡礼の略奪者に転ずる危険性も常に備えていたのである。 社会階層は,カリフやスルタンの一族,軍人,大商人,高級官吏などからなる支配層(ハーッサkhāṣṣa)と,中小の商人や職人,あるいは農民などからなる民衆(アーンマ‘āmma)とに分かれていた。その中間にムスリム知識人(ウラマー)が存在していたが,都市にマドラサが建設され始める11世紀以後は,徐々にこの中間層が厚くなる傾向にあった。…
【都市】より
…15世紀半ばのダマスクスには人口500余りのハーラが70,その郊外のサーリヒーヤには30,同じくアレッポには人口1000余りのハーラが50あったと伝えられる。 都市の住民を階層別にみると,大きくハーッサkhāṣṣa(特権層)とアーンマ‘āmma(民衆)とに分かれる。ハーッサはカリフあるいはスルタンとその一族,アラブやマムルークなどの軍人,大商人,高級官吏などからなっていた。…
【バグダード】より
…遠隔地商業に従事する大商人(タージル)は,商業利潤を私領地(ダイア)の購入と経営に注ぎ込み,軍人や高級官僚とともに富裕な大土地所有者層を形成した。これらの特権層(ハーッサ)に対して,市場の商人,職人,下級官僚,家内奴隷などが民衆(アーンマ)を構成し,その中間に法学者や神学者を中心とするウラマー層が形成されつつあった。このような社会状況の下で活動を開始したのが,任俠・無頼の徒(俠客。…
※「ハーッサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」