世界大百科事典(旧版)内のバーツラフの言及
【ポーランド】より
…ヘンリク4世有徳侯Henryk IV Probus(1257ころ‐90。王位を目ざすが実現直前に死亡),プシェミスウ2世Przemysł II(1257‐96),チェコ国王バーツラフ2世Václav II(1271‐1305),ブワジスワフ短身王Władysław Łokietek(1260ころ‐1333)が,それぞれポーランド王位を手がかりに統一の実現を目ざすが,最終的にこれに成功したのが短身王である(1306)。そして,その子カジミエシュ世(大王。…
【チェコ】より
…歴代のプシェミスル侯は,ハンガリー,ポーランドと同様にドイツの圧力と戦いつつ,逆にその力を利用して,国内の君主制の強化・拡大を図った。バーツラフVáclav(聖王。在位921‐929)はカトリックを国内に布教するのに積極的に努め,ボヘミア初代キリスト教君主となったが,キリスト教導入に反対する弟ボレスラフ1世Boleslav I(在位929‐967)に暗殺された。…
※「バーツラフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」