世界大百科事典(旧版)内のパリ勅令の言及
【クロタール[2世]】より
…祖父クロタール1世の死後フランク王国は分国に分かれ,対立・抗争が続いていたが,613年国内の豪族層の支持により王国の統一を達成した。翌614年パリ勅令を発布し,伯にはその地方に所領をもつ有力者を任命することを規定したことは,統一の代償として豪族層に譲歩したことを示す。【平城 照介】。…
※「パリ勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…祖父クロタール1世の死後フランク王国は分国に分かれ,対立・抗争が続いていたが,613年国内の豪族層の支持により王国の統一を達成した。翌614年パリ勅令を発布し,伯にはその地方に所領をもつ有力者を任命することを規定したことは,統一の代償として豪族層に譲歩したことを示す。【平城 照介】。…
※「パリ勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新